横光克彦(よこみつ・かつひこ)

1943年11月4日生
大分県立中津北高校、北九州大学外国語学部
卒業と同時に上京。
1967年(昭和42) 文学座研究所8期生
1968年 劇団青俳入団
1970年 ポーラテレビ小説「花もめん」TVデビュー
その後、NHK「中学生日記」、映画「金閣寺」、「燃えよ剣」など、TVドラマを中心に出演作多数。
1977年から「特捜最前線」の紅林刑事役でレギュラーとなり、お茶の間の人気者に。

1993年 故郷大分から衆議院(旧2区)に出馬、トップ当選
2003年11月 比例代表九州ブロックで当選
衆議院議員としての政治家生活も12年を迎えました。
2005年8月9日 社民党を離党し、民主党から立候補。
2005年9月11日 比例代表九州ブロックで当選
衆議院議員5期目を迎える。

趣味はスポーツと読書、映画鑑賞。阪神タイガースと、浅田次郎氏と、高村薫氏のファン。
家族は、妻・厚子、長男・太郎、長女・香

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生い立ち〜俳優から代議士へ

 私は1943年11月4日に台湾で生まれましたが、太平洋戦争の敗戦で引き上げ、物心つく前に父の生家のあった宇佐市に移り住み、高校を卒業するまでを宇佐市で過ごしました。私の家は貧しい農家でした。兄弟も多く、私自身も苦労して育ちましたが、それ以上に両親の苦労は大変なものだったと思います。
 私の上のほうの兄は、先の戦争で亡くなりました。そして、高校生のとき、苦労を重ね、子供たちの成長だけを楽しみに、文字通り一生懸命生きてきた母が食道がんを患い、あっけなく亡くなりました。
大学時代・山岳部の友人たちと(一番右) その後、大学へ進学してから、そこでも私はたてつづけに親友の死を目の当たりにしました。私にとって、つい昨日まで共に笑い、泣いた友のあっけない死は大変なショックでした。死とはどういうことなのか、周囲がノイローゼではないかと心配するほど考え込み、いつか自分にも訪れる死と向き合う日々が続きました。
 私が俳優になることを決めたのは、そうして悩みに悩んだ結果のことでした。確かに、幼いころは目立つことが大好きで、学芸会でも主役をやったりしましたが、演劇の勉強などしたことはありません。それでも、暗闇の中で、針の穴のようにチカッと光り輝いて見えたもの、それが演劇の世界だったのです。いつ死んでもいいようにしよう、そのためにいつも自分の情熱を思いきりぶつけられる生き方をしよう、そうして導き出した結論だったのです。
 私にあるのは、情熱と信念だけでした。皆さんがご存じのような日の目を見るようになるまでは、貧困と苦労の連続です。何度もくじけそうになりましたが、そのころ出会った妻の厚子や、多くの人々の支えがいつも私を奮い立たせてくれました。
 大分県中津市で中津地区労働組合評議会の委員長をしていた兄の依頼を受けて、社会党(当時)の衆議院議員や市長選挙など、候補者の応援をすることがあり、政治には人より関心が高いほうではありましたが、その私が国会議員になることなど考えたことはありませんでした。
妻・厚子と 1993年6月、阿部未喜男先生の後継者として立候補してほしいというお話があったことで、決意を固め、そして皆さんのご支持で今、こうしてあるわけですが、お話を受けたときは大変に悩みました。俳優を目指したときと同じように、私は政治に関してはまったくの素人だったからです。
 思い悩んでいる私に、妻の厚子がこう言ってくれました。
「あなたはいつも言っているじゃないの。汚い政治家がうまいことばっかりやっている。百円のお金に困っている人もいるのに、一体何考えているって。要は、あなたにはハートがあって、伝えたいことがあって、やりたいと思うかどうかなのよ。」
 その当時の政界は、政治腐敗がまんえんし、国民の怒りは「政治改革」を望んでいました。政治に関しては素人の私、だからこそ新鮮な目と、新鮮な感覚で取り組めるのではないか。だとすれば、これほどの適任者はないのではないか・・・私の中の迷いが、決意に変わりました。
 今の私は、俳優ではなく政治家です。政治家という仕事が、今のいつも自分の情熱を思いきりぶつけられる生き方なのです。

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故郷を走る!

大学時代は、アルバイトの合間に登山ばかりしていました。
俳優時代も体は鍛えていましたし、代議士になってからはサッカーにも参加させていただいていますが、今も私が続けているスポーツはマラソンです。
郷里の豊かな自然の中を走っていると、嫌なことも忘れることができます。ストレス解消と、体力維持の一石二鳥です。

代議士になってから、地元の皆さんから「見ているだけじゃなくて走らなくちゃ!」とお誘いを受け、スケジュールの許す限り、地元開催の毎年マラソン大会に参加させていただいています。
レースも、少しずつ距離を伸ばすようになりましたし、いい記録も出させていただいています。

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私の好きな言葉、信条・・・清烈

「清烈」は、「せいれつ」と読みます。
1993年に衆議院議員選挙に立候補することになったときに私が作った造語です。
「志、あくまで清く、動くこと烈風のごとし」という意味で、とても気に入っている言葉ですし、これは現在の政治家としての私の主義、信条でもあります。
政治家というのは、清濁合わせ飲むということも必要になってくる場面もあるかもしれませんが、この言葉を選挙のスローガンにしたときの思いは少しも薄れたことはありません。
これからも、この言葉を胸に、清烈に頑張ります。

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これまでの主な国会活動

逓信委員会ではオウム問題、厚生委員会ではエイズ問題で質疑をしました。
村山内閣で与党医療保険協議会、与党政策調整会議に所属して医療改革に力を注ぎました。
大蔵委員会では、変造・偽造が大きく問題になっていた500円玉の改鋳について質問、実施に向かわせる大きな成果をあげています。
そのほか、経口避妊薬低用量ピルの審議状況を質して、承認に向けて道筋を立てました(詳しくはリプロヘルス情報センターHPをご覧ください)。

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衆議院委員会経歴

決算行政監視委員会筆頭理事
(2007年 9月〜)
懲罰委員会委員長
(2006年 9月〜2007年 9月)
内閣委員会委員
(2006年 9月〜2007年 6月)
文部科学委員会委員
(2003年12月〜2005年 8月)
総務委員会委員
(2001年 1月〜2006年 9月)
予算委員会委員
(2000年 7月〜2003年10月)
大蔵委員会委員
(1999年 1月〜2000年 6月)
商工委員
(1996年11月〜1998年12月)
厚生委員会理事
(1993年 8月〜1996年 9月)
逓信委員会委員
(1993年 8月〜2000年12月)

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民主党関係

農林漁業再生本部 副本部長
(2006年 3月〜)

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議員連盟関係

社団法人 日中協会 理事
社団法人 生活経済政策研究会 理事
世界連邦日本委員会 常任理事
日ロ友好議員連盟 副会長
日本インドネシア議連 副会長
音楽議員連盟 副会長
森林・林業活性化推進議連 理事
活字文化議員連盟 代表幹事

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【前歴】社民党関係

代議士会長
(2000年 7月〜2005年8月)
副党首
(2003年12月〜2005年8月)
国対委員長
(2003年12月〜2005年8月)

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