政府は、1月16日、陸上自衛隊先遣隊をイラクへ派遣しました。大きな戦争が終わったとはいえ、今なお連日のように小さな戦争が続くイラクに自衛隊を派遣できるような状況ではないことは明白なことです。
総理もブッシュ大統領も、国際協調、国際協調と叫びますが、フランス、ドイツ、ロシア、中国という世界の大国がイラクに一兵たりとも派兵していないという現実をみたとき、この国際協調という言葉がむなしく聞こえ、逆に、アメリカ追従が鮮明になるばかりです。強調しておかなければならないことは、今回の米英によるイラク攻撃には全く大義がないといえます。
孟子の言葉に、「天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず」という有名な言葉があります。人の和がなければ何事も成功しないという意味です。自衛隊のイラク派遣に、人の和、すなわち国民の総意はありません。「聖人には常の心なし、百姓(ひゃくせい)の心を以て心と為す」という老子の至言もあります。総理は、自分の考えに固執することなく、百姓(ひゃくせい)、つまり民の声に耳を傾けるべきなのです。総理は、国益国益と申しますが、国民一人一人の生命を顧みずして真の国益などありません。
政府予算案は、残念ながら、国民生活の視点が希薄だと言わざるを得ません。今、国民の多くが期待しているのは、現下のデフレ経済を好転させるための予算です。我が国の経済に明るい兆しが見えてきたと言われていますが、地方や中小企業や一般労働者には全くその実感はありません。わずかの明るさを総理は改革の成果だと申していますが、全く逆です。これは、良好な輸出環境と相俟って、民間の血のにじむような自助努力の結果といえます。
景気を本格的な回復基調にしていくためには、雇用失業対策や、年金、医療などの福祉を最優先とした、家計を助ける予算編成を行い、将来不安を払拭する以外に道はありません。来年度予算は、編成の重点が構造改革なのか景気回復なのか不明確であり、中途半端な内容であるとしか映らないのです。
我が国の年金制度は、若い人を中心に深刻な不信が広がり、中高年を中心に大変な不安が募っております。そういう中で、今回の改正は、国民からの信頼を回復し、安心を取り戻す最大のチャンスであったにもかかわらず、政府の示した案は、国民を再度裏切り、不信、不安を助長させています。
総理は、むだな道路はつくらないと明言をし、高速道路の新規建設を抑制する考えを示してきましたが、結果的には高速道路整備計画の9,342キロの道路建設を進める内容になっており、看板に偽りあると言わざるを得ません。公団改革をめぐる迷走、混乱は、総理の常套手段であった改革派対抵抗勢力の構図が利権の分捕り合いであったことをあらわしているのではないでしょうか。道路四公団の不明朗な経営、道路建設に関する特定の議員との癒着関係、ファミリー企業の存在や天下り問題など、一連の問題にメスを入れることから始めるべきです。難しい問題はすべて半世紀後に先送りするというのであるのならば、何ら改革の名に値しないと考えます。
郵便局は、地域で最も身近な国の機関として、国民の利便に大きく貢献しております。特に、生活弱者への貢献は大きく、国民の日常生活に深くかかわっております。
少子高齢化社会が急速に進展し、2025五年には三人に一人が高齢者となる中、国民生活のセーフティーネットとして、全国の郵便局とそのネットワークを、国民生活共有の社会的インフラ、住民への公共サービスの拠点として積極的に活用していくことこそが大きな課題であると思います。銀行を国営化して郵貯を民営化するという矛盾。郵政の民営化より、少子化の克服を初め、医療や年金など社会保障制度を将来にわたって維持するための政策こそが必要なのです。
イラクへの自衛隊派遣は言うに及ばず、憲法改正の動き、その憲法の理念に基づく平和国家日本の原理原則があります。つまり、国是である武器輸出三原則の見直しの動き、さらには、大本営発表に限りなく近づきかねない情報統制などなど、これまで考えられなかったことが、今、なし崩し的に動き始めております。
総理は憲法前文を持ち出して、国際社会において名誉ある地位を占めたいと語っております。アメリカに対して名誉ある地位を占めたいと言っているようです。憲法を引用するのであれば、憲法九条こそ引用すべきです。あの悲惨な戦争から58年が経過し、憲法九条と先人たちのたゆまぬ御努力のおかげで、私たちの国は、この間、どこの国ともただの一度も戦争することなく、平和な国として繁栄してまいりました。与えた痛み、受けた痛みを忘れ去ってしまうには、58年という歳月は余りにも短過ぎると思います。
私は、日本の宝であります憲法九条の旗を世界にはためかせることができたときにこそ、日本が国際社会において名誉ある地位を占めることができると確信しています。一歩踏み込めば、引き返すことがいかに困難なことかは、これまでの歴史が証明するところです。いつの日か、こんなはずではなかったのにと言っても、もうそのときは遅いのです。それだけに、国会の責任が、本院の責任がいかに重要であるかということはおわかりのことと思います。